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2019.07.28
全院協が年4回発行している全院協ニュースの第257号を発刊いたしました!
今年度初となる全院協ニュースです。新旧議長のあいさつをはじめ、全院協がどういった活動を行っている団体かを簡潔に解説した記事や、加盟校である一橋大学の活動を特集しております。
ぜひご一読ください!
本冊子をご覧になっている方は、現在の大学院生がおかれている状況に少なからず問題意識をもっておられるのではないかと思います。日々、日本の院生(これは日本国籍の学生に限られません)をとりまく状況――高額な学費、積みあがった奨学金、日々の生活費・研費、就職の展望、社会からの視線……――に違和感を覚えつつも、どうしたらよいのかわからない。研究に意義を見出しつつも、なかなか理解されない。果たして周りの院生は平気なのだろうか?こうした違和感を抱えているのは自分1人だけなのではないか? 私は、こういった違和感に基づく不安を内に秘めている方、そうした方にこそ、ぜひわれわれ全院協の取り組みを知っていただきたい、そしてより広範な大学院生の声を政治に反映していきたい、と思い今年度全院協の議長を務めさせていただくことになりました。改めまして佐倉宗吾と申します。中央大学の大学院生です。
さて、この冊子をご覧になっている方は、大学院生の現状況をどうしたら変えられると思いますか? まず身近なレベルで、個別の大学院では院生協議会を立ち上げることが1つの方法です。私は、院生協議会(あるいは院生自治会)の活動とは、1つは大学当局との交渉を通じて自らの手で自らの研究環境の改善を求めていく、そういった活動だと理解しています。大局的なレベルでも政治は――どれだけ聞き入れるかは別として――私たちの声を門前払いすることはできません。全院協は、「全院協とは?」の項目(本冊子4頁)でも解説されているように、各大学の院生協議会の全国協議会と自らを位置付けて活動をしています。したがって、全院協も、全国の院生協議会、延いては全国の大学院生の声を代表するつもりで、毎年、「大学院生の研究・生活実態に関するアンケート」を集め、それに基づいて政策提言を練り上げた上で、省庁、政党等に経済的な条件を含めた幅広い意味での研究環境の改善を求める要請行動を行っています。今年度も、こうした活動を確実に実行していく所存ですので、ぜひご回答・ご参加いただきたく存じます。
しかし、この冊子をご覧になっている方のなかには、これらの活動がどこか縁遠いものに感じられる方もいることでしょう。まず院生協議会がない、存在してはいてもどういった活動をしているのかわからない、という方が多数というのが実情ではないでしょうか。つながり作りが楽なものではないということは事実です。しかし、院生協議会の活動は、単に交渉による要求実現だけにとどまりません。院生協議会の活動は、もう1つ、一定の自治を通じて院生間の連帯を培っていく、そういった面も合わせ持っています。全院協の行っているアンケートにも、つながりを欲する声が多々寄せられています。そういった方には、ぜひ自分を無力と思いこまないで、声をかけあってつながりを作ってほしいと思います。その際には、全院協も微力ながらともに汗をかきできるかぎり協力いたします。
最後に、先日、大学等修学支援法が成立いたしました。高等教育無償化へのベクトルが伸びつつも、しかし、未だその先行きは不透明です。少なくとも、この対象に院生が入っていないことは確かです。とはいえ、無償化への「賽は投げられた」というのが現状です。それをどこまで前進させられるか、わたし達の運動が重要な鍵となっています。いまFREE(高等教育無償化プロジェクト)を皮切りに、高等教育の学費無償化・給付奨学金の実施等を求める運動が広がっています。院生の現状を変える岐路に私たちは立っています。
私たちは大学院生の全国協議会、全院協です。私は議長として、あなたの声をあなたとともに政治に届けたい。微力ながら今年度いっぱい、よろしくお願いいたします。
2019年度全国大学院生協議会議長 佐倉宗吾
退任挨拶。昨年、来年の今頃は私も書くことになるのだろうかと思った文章を実際に書く段取りとなった。とにかく今感じているのは、一年間、行き届かなかったところは多々あるにせよ、なんとか役割を終えて今年度に活動を引き継ぐことができたことへの安堵と、後輩たちが全院協の活動を引き継いでくれていることへの感謝の思いだろうか。
過去の議長挨拶を眺めてみても自己責任論について言及していないものはない。現在の大学院生の置かれた状況について語る上で、自己責任論を避けては語ることはできないだろうが、この自己責任論とどう対峙するかというのは、今後の全院協を左右しうる死活的に重要な部分だと感じる。ここでは、自己責任論、またそれと関係が深い経済合理性を重視する(新自由主義的な)思想についての私の考えを記し退任の挨拶としたいと思う。
昨年の財務省要請の際に私は効果的な反論が出来なかったのだが(いまでも少し心残りなのだが)、財務省は教育を国にとってだけでなく、学生にとっても投資として見ていたのが印象的だった。つまり高等教育を受けることで各々のスキルが高まり、それによって生涯の所得が高まる、だから君たちは学んでいるんでしょ、といった論理である。
これはホモ・エコノミクス(経済的合理性に基づいて行動する個人)的な人間観に基づいており、主流派経済学において想定される人間観はこれである。もちろん私達も同じ立場に立脚した上で、教育政策を批判することも可能であろう。例えば、競争だ、資源の傾斜配分だと言いながら基幹運営費交付金を減らしたことが、教員の負担を増やし、逆に非効率を生み出しているのではないかといったように。
しかしながら、このホモ・エコノミクス的人間観は自己責任論と極めて親和性が高い。自身の所得最大化を目指して学んでいるなら、それを税金で支える必要はない。こういった論理に対抗するには同じ立場の上では非常に難しい。自己責任論は、様々な繋がりの中にある人間をあたかも一つの個体として扱い、成功も失敗も、富裕も貧困も個人の責任に帰する。
近年蔓延る経済合理性至上主義も自己責任論も、それを内面化すればするほど、それによって私達は内面から苦しめられる。「自分で選んだんだから」。「運動なんて無駄かも」。
私達科学者は立脚すべきなのは、事実である。人間は一人で生きているのではない。生産関係を考えてみてほしい。例えば私達が日々利用しているスマホ一つとっても、過去現在一体何千万の人々が関わってこの製品が今手元にあるのか。それならば、私が現在ここに在るまでにはいったいどれだけの人々と関わって来たのか。あらゆる人間は生まれてから周囲を取り巻く社会という重層的な空間の中にあり、誰も決して一人で現在に至っているのではない。一人ひとり関わってきた人が異なっているように、一人ひとり考え方は異なっている。自己責任論もホモ・エコノミクスの想定も端的に言って誤りである。
大学院生が置かれている研究環境・経済状況は厳しい状況が続いている。そうした中でも現状を捉え、改善を訴える活動を続けることが、人の認識を変え、それが社会を少しでも違ったものにするはずだ。これからも全院協が続いていくこと心から願っている。
2018年度全国大学院生協議会議長 葛谷泰慣